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福岡地方裁判所小倉支部 平成2年(わ)447号 判決 1991年3月29日

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入する。

押収してあるポリ袋入り覚せい剤一袋(<番号略>)及び同注射器一本(<番号略>)を没収する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、

第一  平成二年六月九日午後四時ころ、佐賀県武雄市<番地略>個室付浴場「D」内において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液若干量を注射器(<番号略>)を用いて自己の右腕に注射し、もって覚せい剤を使用し

第二  同月一〇日午後一時五〇分ころ、北九州市<番地略>ホテル「○○」三一三号室において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩酸塩結晶約99.31グラム(前<番号略>はその鑑定残量)を所持したものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、本件捜査過程には重大な違法行為があるところ、本件はその結果得られた証拠によって起訴されているのであるから、本件公訴は無効であり、または、右証拠の証拠能力は否定されるべきであるから、本件については公訴棄却または無罪の判決がなされるべきである旨主張するので、以下この点について検討する。

二  前掲証拠並びに被告人の検察官(<書証番号略>)及び司法巡査(<書証番号略>)に対する各供述調書、証人朝井登の当公判廷における供述、江藤昌子の司法巡査に対する供述調書、押収してあるカード一枚(<番号略>)によれば本件捜査の経過は概ね次のとおりであったことが認められる。

被告人は、平成二年五月三日ころ、佐賀県武雄市内のスナックでNと知り合い、その後ホテルを転々とするなどして同女と行動をともにし、同年六月九日午後九時ころから、同女とともに判示のホテル「○○」三一三号室に泊まっていたが、同日から翌一〇日にかけて、被告人にスプーンで目の付近を掻いたり虫がいるなどと口走ったりするなど覚せい剤の影響によるものではないかと考えられる異常行動が現れたことから、恐怖を感じたNは、同日午後一時前ころタオル交換に来た同ホテル従業員に「一一〇番して下さい」と記載したカードをひそかに渡して救いを求めた。右従業員は、直ちに同ホテル店長の朝井登にその旨連絡した。朝井は、Nの真意を確認すべく三一三号室に電話し、これに出たNに、「本当に一一〇番していいのか」、「覚せい剤か」などという「はい」、「いいえ」で答えられる形の質問をして事情を聴き、これらの問いに「はい」という答えを得たことから、近くの福岡県小倉北警察署片野派出所に走り、同所勤務の花田勲生巡査部長に右カードを示し右経過を説明して出動を求めた。花田巡査部長は、他の派出所員は別事件の処理に当たっていたことから、本署に応援を求め、パトカーで駆け付けた同署の田中政儀巡査長、嶋内巡査とともに(右三名はいずれも制服着用)同ホテルに向かい、同署の久岡敏治巡査部長、瓜生克司巡査らも別途同ホテルに向かった。同日午後一時四五分ころ同ホテル三一三号室前に花田巡査部長らが集まったところで、朝井がチャイムを鳴らすとNがドアを開け脅えた様子で現れ、「中にいますから」と、肩越しに室内を指さした。先頭にいた花田巡査部長や、瓜生巡査は、これを入室の同意と判断して同室内に入り、久岡巡査部長は更にNに対し入っていいかと聴いて明確な同意を得てから室内に入った。そして田中巡査長もこれらに従った。なお、Nは、その際、警察官らと入れ代わる形で室外に出た。警察官が入室した時、被告人は、腰にバスタオルを巻いただけの状態であり、特に錯乱状態に呈しているといったようなことはなかったが、口の回りがかきむしったように赤くなっているなど覚せい剤の使用を窺わせる事情も認められた。被告人は、いきなり入って来た警察官に驚き、大声で、「何しに来たんか。俺が何をしたか。N、N、どこに行ったんか。」などと怒鳴り、あらかじめ朝井からホテルから通報があったことは伏せておいて欲しいとの要請を受けていた花田巡査部長が、「この部屋で男が大きな声出して暴れているので来てくれという通報があったので来た。」などと虚偽の説明をすると、そのような事実を否定し、警察官の間を擦り抜けて行こうとしたが、花田巡査部長と肩がぶつかったことなどから、それも止め、Nの名前などをぶつぶつ口走りながら部屋の中をぐるぐる歩き回り、田中巡査が「落ち着け、落ち着け」と宥め、花田巡査部長が衣服の着用を促すといったこともあって、服は着たものの、警察官の入室に不満の態度を執り続け、覚せい剤事犯につき事情を聴こうと考えている警察側と接点の得られぬ状態が続いた。このままでは効果的な事情聴取ができないと判断した久岡巡査部長は、一旦部屋から出、通路で他の警察官から事情聴取を受けていたNに改めて被告人が覚せい剤を打っていたことを確認し、その隠匿場所がバッグの中であることを確かめたうえ室内に戻り、周囲を見回して、ベッドの枕元の棚の上にあったバッグと右バッグの背面のポケットに覗いている注射器を発見した。そこで、久岡巡査部長が、右バッグを手に取り、「ポンプがあるやないか。」と被告人を質し、中心となって被告人との応対にあたっていた花田巡査部長も右バッグを受け取り、右ポケットから注射器を取り出してバッグとともにテーブルの上に置き、さらに「これは何か。」などと質問を続け、インシュリン注射用との答えであったことから、それならば残りの薬を見せて欲しい、バッグの中の物を見せて欲しいと説得を続けた。しかしながら、被告人は、「令状があるか、俺のもん見るなら令状を持って来い。」などといってこれを拒否した。そして、しばらく押し問答が繰り返されたが、そのうち、被告人は、「勝手にせい。」と言って、そっぽをむくようなふて腐れた態度を執った。花田巡査部長は、右発言は、開披についての承諾の趣旨であると判断し、瓜生巡査に、開けてもいいと言っているので開けてくれと指示した。瓜生巡査は、「開けていいね。」と二回ほど念を押したが、被告人が黙っているので、開披につき異議はないものと考え、右バッグの蓋(ホックで留めるようになっているがそのときは右ホックは掛かっていなかった。)を開けた、すると、中にポリ袋が入った白色結晶が見えたので、瓜生巡査は、被告人にこれは何かと問い、被告人が「分かった、分かった、シャブたい。女は関係ない。」と答えたことから、その一部を取り出してシモン試薬による予試験を行い、右白色結晶が覚せい剤であることを確認した。なお、右覚せい剤が発見されたのは同日午後一時五〇分のことである。そこで、花田巡査部長の指揮により、被告人は覚せい剤所持の現行犯人として逮捕され、これにともなって右覚せい剤、バッグ、注射器などが差押さえられた。そして、翌同月一一日、福岡県小倉北警察署での取調べの際、捜査官が、被告人に排尿とその尿の提出を求めたところ、被告人が直ちにこれに応じたので、右尿が領置された。

なお、証人田中政儀は、室内に入った早い段階で、被告人は、花田巡査部長の持物を見せて欲しいという求めに対して、「勝手に見ろ。」などと答えていた旨の証言をしているが、証人花田勲生自身右事実を否定していることや、バッグの開披要求に令状がないことを指摘してこれを拒否しているといった被告人のその後の態度からして、右供述はその段階で任意に所持品検査に応じる態度が見受けられたとする趣旨のものとしては到底採用できない。また、被告人の供述中、警察官が、弁護士への電話を阻止し、あるいは逮捕前ごみ箱の中などを捜索していたとする部分は、一致してこれらの事実を否定する証人花田勲生、同田中政儀、同久岡敏治及び同瓜生克司の当公判廷における各供述や、バッグの開披につきなんとかして同意を取り付けようとして腐心していた警察官の態度等に照らし信用できない。

三  前認定の事実によれば、当初の警察官の本件ホテル客室内への立入りは、被告人の態度に脅えて警察の出動を求め、自ら警察官と応対した被告人の同宿者の要請によるものであったのであるから、同意に基づく立ち入りとして、適法なものであったというべきである。そして、Nが前認定のような異常な形で警察の保護を求めたことや、同女の供述、口のまわりがかきむしったように赤くなっているなどの被告人自身の異様な様子等よりすれば、当時、被告人には覚せい剤使用等の罪を犯している疑いが濃厚であったのであり、殊に久岡巡査部長が注射器を発見してからは、その嫌疑は決定的に高まったものというべぎてあるから、警察官にこの点の職務質問の必要があったことも容易に肯定できるところである。とはいえ、場所は被告人らの宿泊していたホテルの一室であり、被告人もまた、立入りについて諾否の権限を持っていたのであって、しかも前認定の警察官立入後の被告人の態度よりすれば、被告人がこれを許容したものとは考え難く、むしろ被告人が供述するように明示の退去要求すらあったのではないかと考えられるのであるから、その後の警察官の行為の適否についてはこの関連でも検討を要するところである。しかしながら右のように当初の立入りが適法でありかつ居住者に高度の犯罪の嫌疑が認められる場合は、居住者から退去の要求があった場合であっても、警察官は、その場での職務質問に応じるよう、あるいは任意同行に応じるよう説得するに必要で相当と認められる合理的時間内は右活動のためなおその場に留どまることが可能であると解するのが相当であり、前認定の嫌疑の程度と入室から覚せい剤発見までの時間に鑑みると、本件警察官の滞留はなお右相当性の範囲内にあったものというべきである。そこで、さらに、警察官の行った本件所持品検査の適法性について検討するに、花田巡査部長や、瓜生巡査は、「勝手にせい。」という発言や、「開けていいね。」との問いに異議を述べなかったことをもって、被告人は本件バッグの開披に同意したものと判断したというのであるが、被告人はその直前まで令状を要求して内容物の提示を拒否していたのであり、右発言時等の態度も横を向いていわゆるふて腐れたような態度であったというのであるから、その前に警察官の退去自体を求めていたという事情も考慮すれば、右の発言等をして任意の承諾があったものとすることはできない。もっとも、職務質問にともなう所持品検査は、捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り、所持人の承諾がなくともできる場合があるのであるが、被告人に認められた容疑はかなり濃厚なものであったとはいえ、その段階で想定されたのは覚せい剤の自己使用とこれにともなう所持といった程度のものであり、兇器その他の携帯が予想された訳ではなく、任意の提示を求めた時間も短く、前に述べたようにホテルの一室という場所柄無条件で職務質問の継続が許される場合でもなかったことなどに照らすと、本件バッグの開披はその緊急性に乏しかったものというべきである。しかしながら、右状況に照らすと、本件は所持品の検査の必要性自体は肯定できる場合であるし、本件警察官は被告人の承諾を得られたものと考えて本件バッグを開披したのであり、その態様もホックが外れていた蓋を開けて中を見るといったものに過ぎなかったのであるから(当時の状況からして発見された白色結晶が覚せい剤であることは決定的であったといえるからその後の予試験については、これを独立に適否の評価をする必要はないものと考える。)、その違法の程度は、その結果発見された証拠物等の証拠能力や右証拠に基づく起訴の効力に影響を及ぼすほど重大なものではなかったというべきである。そして、採尿手続を含めその後の捜査手続に違法な点は認められない(なお、弁護人は、証拠能力に疑問があることを前提に、<番号略>として請求した証拠物を証人に示した後撤回した検察官の措置の不当を主張しているが、右措置の当否が他の証拠の証拠能力や本件公訴提起の効力に影響を及ぼすものとは考えられない。)。

四  以上の次第であるから、弁護人の前記主張は採用できない。

(累犯前科)

被告人は、昭和六二年七月二一日山口地方裁判所宇部支部で覚せい剤取締法違反罪により懲役一年に処せられ、昭和六三年五月六日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は検察事務官作成の前科調書及び当該調書判決の謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

罰条 判示第一の所為 覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条

判示第二の所為 同法四一条の二第一項一号、一四条一項

累犯加重 判示各罪につき いずれも刑法五六条一項、五七条

併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、一四条(犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重)

未決勾留の算入 刑法二一条

没収 押収してある注射器一本(<番号略>)につき、刑法一九条一項二号、二項(判示第一の罪の犯罪行為供用物件)、同ポリ袋入り覚せい剤一袋(<番号略>)につき、覚せい剤取締法四一条の六本文(判示第二の罪に係る覚せい剤)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項本文

(裁判官 福崎伸一郎)

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